2014,09,04, Thursday
東北紀行 二日目
さて二日目ですが、女川、大川小学校、南三陸、気仙沼、陸前高田、大船渡と盛り沢山の予定です。
まずは女川です。震災がなければ行くことはもちろん、知ることすら無かったでしょう。
旧江島会館はまだ横倒しのままです。震災遺構としてわざと残そうとしているのか、それとも三年半後の今なお手付かずなのか・・・
仮設住宅にも行きましたが、シャッターを切る気にはなれませんでした。
続いて悲劇の地、大川小学校です。
裏山に行くか、鉄橋へ行くかの結論に時間がかかり、逃げ遅れたのですが、裏山は相当な急斜面。夏の今でも私は登るのを躊躇します。震災当日はここに雪が積もっていました。その時その場にいなかった人が、後付けで非難するのはどうなんでしょうか?
さらに北上し、南三陸にやってきました。
まずは南三陸町防災対策庁舎です。最後の瞬間までここにとどまって市民に避難を促し、多くの職員が殉職しました。30人中、助かったのは10人だそうです。
志津川病院は撤去され、更地になっていました。
無残な姿を晒す、陸前小泉駅。津波にさらわれた地域の駅は、どこも似たような状態でした。
線路だったらしき痕跡。
そして、国道沿いの代替のバス停。
気仙沼のフェリーターミナルです。震災前は待合所の建物があったことでしょう。
すぐ隣に、復興市場がありました。
陸前高田では復興に向けた本気を見ました。市街地を高台に造成するのに、巨大ベルトコンベアーを稼働させてます。
切り倒した挙句に型どってレプリカを戻した、もはや奇跡では無い一本松。
最後は大船渡です。高台から見下ろすと、被災状況と復興に向けた工事の様子がわかります。
まずは女川です。震災がなければ行くことはもちろん、知ることすら無かったでしょう。
旧江島会館はまだ横倒しのままです。震災遺構としてわざと残そうとしているのか、それとも三年半後の今なお手付かずなのか・・・
仮設住宅にも行きましたが、シャッターを切る気にはなれませんでした。
続いて悲劇の地、大川小学校です。
裏山に行くか、鉄橋へ行くかの結論に時間がかかり、逃げ遅れたのですが、裏山は相当な急斜面。夏の今でも私は登るのを躊躇します。震災当日はここに雪が積もっていました。その時その場にいなかった人が、後付けで非難するのはどうなんでしょうか?
さらに北上し、南三陸にやってきました。
まずは南三陸町防災対策庁舎です。最後の瞬間までここにとどまって市民に避難を促し、多くの職員が殉職しました。30人中、助かったのは10人だそうです。
志津川病院は撤去され、更地になっていました。
無残な姿を晒す、陸前小泉駅。津波にさらわれた地域の駅は、どこも似たような状態でした。
線路だったらしき痕跡。
そして、国道沿いの代替のバス停。
気仙沼のフェリーターミナルです。震災前は待合所の建物があったことでしょう。
すぐ隣に、復興市場がありました。
陸前高田では復興に向けた本気を見ました。市街地を高台に造成するのに、巨大ベルトコンベアーを稼働させてます。
切り倒した挙句に型どってレプリカを戻した、もはや奇跡では無い一本松。
最後は大船渡です。高台から見下ろすと、被災状況と復興に向けた工事の様子がわかります。
| Tour::2014 Summer | 10:43 PM | comments (0) | trackback (x) |