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ぼっち

今日のコースは津和野&秋吉台。
津和野に行くのに、出発のキャンプ場は広島、一旦山口に入って、今度は島根ともう訳分からん。

これでも酷道。


津和野は隠れキリシタンがいたり。


電脳コイルがあったり。


古い空間があったり。なかなか楽しめました。


秋吉台は思ったほどでも。


秋吉台家族旅行村で独りぼっちのキャンプ。
クマが出たらエサは俺だけか・・・


明日は門司港でモジモジ

start:19837km
end:19996km
mileage:159km

| Tour::2016 Autumn | 08:51 PM | comments (0) | trackback (x) |

黙祷

AM6:00にホテル出発。150kmほど走って江田島へ。
お目当は旧海軍兵学校です。

明治21年に江田島の地に移り、校舎ができたのは明治26年。それまでは軍艦を校舎がわりにしていたそうで。
ある意味、今の日本の礎となった地。特攻隊の遺書は行間からさまざま思いが滲み出るかのよう。背筋が伸びました。




お昼はお約束で海軍カレー


その後、100キロほど移動して錦帯橋へ。TVでみるよりはるかに美しい。きて良かった。


今夜のお宿はこんな感じ。岩倉キャンプ場にお世話になりました。
800円でオートキャンプできてオススメです。
夕食は1人焼肉を堪能。秋キャンは人が少なくていいね。煩い老人がいたが・・・


明日は津和野と秋吉台かな。

start:19574km
end:19837km
mileage:263km

| Tour::2016 Autumn | 07:51 PM | comments (0) | trackback (x) |

白くなかった白鷺城

自宅から約600km爆走して姫路城へ。
朝6:00に出発して15:00着。以外といけるもんだな。
圏央道、東名、伊勢湾、東名神、新名神、名神、中国、山陽、どうやってきたのか、もはや訳わかりません。

お約束で天守閣登ってきました。
これを1600年代に作ったって、どんだけ昔の人凄いんだ⁉︎






姫路城の天守閣を満喫して、さらに約150km移動して福山泊。

明日は江田島の旧海軍兵学校と岩国の錦帯橋だな。

start:18809km
end:19574km
mileage:765km

| Tour::2016 Autumn | 11:55 PM | comments (0) | trackback (x) |

東北紀行 最終日

最終日はこれまでと趣を変えて観光オンリー、平泉に行ってきました。

世界遺産ということもあり、混雑を避ける為に拝観の始まる8:30を目指して行きましたが、駐車場はガラガラ。ほとんど観光客も居ません。
平日だからなのか、雨だからなのか、それともブームが過ぎ去ったのか・・・

ガラガラの駐車場。


誰もいない月見坂。


中尊寺の門、立派です。


こちらは本堂。で、デカイ!


肝心の金色堂は、拝観料をとって撮影禁止なので、覆堂の写真だけ。金色堂はこの中で大事大事されてます。ちなみにこの覆堂、1965年製の鉄筋コンクリート・・・


室町時代の建築と考えられている木造の旧覆堂はすぐ近くに移築されて現存しています。こっちの方が有り難みあるな。


一番奥にある能楽堂。現在あるものは、嘉永6年(1853)伊達藩主伊達慶邦朝臣から再建奉納されたものだそうで。


で、能楽堂からの帰り道もガラガラでした。



| Tour::2014 Summer | 07:08 PM | comments (0) | trackback (x) |

東北紀行 二日目

さて二日目ですが、女川、大川小学校、南三陸、気仙沼、陸前高田、大船渡と盛り沢山の予定です。

まずは女川です。震災がなければ行くことはもちろん、知ることすら無かったでしょう。
旧江島会館はまだ横倒しのままです。震災遺構としてわざと残そうとしているのか、それとも三年半後の今なお手付かずなのか・・・
仮設住宅にも行きましたが、シャッターを切る気にはなれませんでした。


続いて悲劇の地、大川小学校です。
裏山に行くか、鉄橋へ行くかの結論に時間がかかり、逃げ遅れたのですが、裏山は相当な急斜面。夏の今でも私は登るのを躊躇します。震災当日はここに雪が積もっていました。その時その場にいなかった人が、後付けで非難するのはどうなんでしょうか?




さらに北上し、南三陸にやってきました。
まずは南三陸町防災対策庁舎です。最後の瞬間までここにとどまって市民に避難を促し、多くの職員が殉職しました。30人中、助かったのは10人だそうです。


志津川病院は撤去され、更地になっていました。


無残な姿を晒す、陸前小泉駅。津波にさらわれた地域の駅は、どこも似たような状態でした。


線路だったらしき痕跡。


そして、国道沿いの代替のバス停。


気仙沼のフェリーターミナルです。震災前は待合所の建物があったことでしょう。


すぐ隣に、復興市場がありました。


陸前高田では復興に向けた本気を見ました。市街地を高台に造成するのに、巨大ベルトコンベアーを稼働させてます。




切り倒した挙句に型どってレプリカを戻した、もはや奇跡では無い一本松。


最後は大船渡です。高台から見下ろすと、被災状況と復興に向けた工事の様子がわかります。

| Tour::2014 Summer | 10:43 PM | comments (0) | trackback (x) |

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